Yとぼくと文庫本

古ぼけた書籍
ぼくがまだ学生だった頃の話です。はじめての上京。知り合いなし。それでもって、親元からのサポート・ゼロの一人暮らし…。
これは正直、かなりきついものでした。だからアルバイトは、生活の糧を得るために絶対的になくてはならないものでした。
学校近くの食堂の洗い場からはじめて、ボーリング場とパチンコ店で働いた後、先輩のツテでこれまでよりグッと割のいい仕事を見つけることができました。
都心の大手書店のバックヤード勤務で、本を扱うということが新鮮な驚きでした。
その内容はトラックで運び込まれる大量の本を発送先ごとに仕分けしたり、ビニールのカバーをつけたりと、要するにいろいろなカスタマー・サーヴィスを一手に引き受ける何でも屋みたいなものでした。
現役学生と浪人生がそれぞれ三十人以上、あわせて七十人を超える大所帯で、ぼくは授業のない日と、せっかくの休みのはずの土日を一日中、構内のぼんやりした蛍光灯の下で過ごさなければなりませんでした。

学業とアルバイトの掛け持ち生活…。生活費のためだから。学費のためだから。そう思って、学友とのつきあいや睡眠時間を犠牲にして、最初はがんばってはいたのです。
でも、そんな無理な緊張は長くはつづきませんでした。
梅雨が明けてカラリと晴れた夏空がお目見えした頃、もうぼくは気の抜けたサイダーみたいな心理状態に陥っていて、次第に学校をさぼるようになっていました。
ある意味、五月病みたいなものだったかも。

さすがに家賃が払えないと困るのでアルバイトはつづけましたが、こんなんじゃ、言うまでもなく本末転倒です。
そのうち気がつくと、やはり同じような理由で通学をやめてしまったバイト仲間に誘われるまま、夜な夜な、街で遊ぶようになっていました。

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そんな自堕落な生活をつづけていたある日─早くも秋の終わりの頃でした。
「太田くんだよね? 政経学部なんだって?良かったらさ、あの、これ…」。作業場の渡り廊下で、ぼくを呼びとめたのは浪人組のYでした。
彼がぼくのことを知っているのに驚きました。
バイト先の現役学生組と浪人生組は、職種もちがっている上にお互いのあいだに心理的な隔たりがあって、あいさつを交わすくらいの関係しかなかったからです。Yとはろくに口をきいたこともありません。

手渡された紙袋には文庫本がぎっしり詰まっていました。
怪訝な顔のぼくに、Yはしどろもどろでだいたい、こんなことを言ったのです。
「自分は政治を勉強している。そのためにいろいろ本を読んでいる。でもたまるばかりで困っている。良かったらもらって欲しい」と。
断る理由もないので、お礼を言って受けとると、Yは顔を赤らめて「それに…君、頭良さそうだし」とつぶやきました。

それはみんな、政治学や政治史などの有名な古典でした。
パラパラめくってはみたものの、長いこと講義に出ていないぼくには宝の持ち腐れ。というか正直、もはやお荷物でしかなかったのです。
それからも何度かYから本をもらいました。彼はその種の話がしたかったのでしょう。
「あのさ、ここんところ、大学じゃどんな風に教えてるの?」。遠慮がちに聞かれたりもしましたが、適当にごまかしているうちに、ぼくはYの顔を見かけるとコソコソ逃げまわるようになっていました。

そうこうするうちに、年が明けました。
新年会の席に、Yの顔は見当たりませんでした。気になって浪人生組のチーフに聞くと、その意外な返事にぼくは強いショックを受けたのです。
「Yさん? ああ、彼、君の行ってるW大の政経志望で、三浪中だったんだ。でも、とうとう、あきらめたらしい。勉強家なのに惜しいことをしたね」。
昨年末、Yはバイトをやめて田舎に帰ったというのです。実家の酒屋を継ぐために…。

その晩、ぼくはYがくれた文庫本を見つめずにはいられませんでした。それは100冊近くもありました。
手にとってよく見ると、そのほとんどが政治学専攻の学生にとって必読書とされているものばかりでした。
Yは─ほんとうは、さん付けすべきでしょうね─自分の夢を、ぼくに重ねていたのでしょう。布団にもぐりこんから、ぼくは何年かぶりに、エッエッと声をたてて泣きました。

何日かして、所長にYの住所を教えてもらい、「本、ありがとうございました。春からちゃんと大学に行きます…」と書いた手紙を出しました。
そんなわけでぼくたちの友情は、ふたりが離ればなれになってから、ようやくはじまったのです。

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もしかしたらYさんは君が講義に出ていないことに気付いていたのかも知れないね。
最終的にはYさんの想いはちゃんと通じたみたいで、本当に良かったぜ。