店長と俺の乾杯

グラスに入った日本酒
社会人になって一年目、毎日仕事をやめたいと思っていた頃の話です。
来る日も来る日も営業で怒られて、毎日辛かったです。新人は怒られるのが当たり前だと言われて耐える日々が続きました。
「見返してやる」と、上司を驚かすことのできる成績を目指してその時は必至でした。
どっと疲れて毎日家で寝るだけの生活が続きました。
ちょうど仕事を初めて半年が過ぎた頃、久々に一人で酒でも飲もうと小さな飲み屋に入りました。

サラリーマンのおじさん方がたくさんいて店は騒がしく、繁盛している様子でした。
隅のカウンター席が一つだけ空いていたので、そこに俺はそっと座りました。
するとカウンター越しに現れたのは俺よりも年下っぽい無精ひげの男でした。
「お客さん、初めて見る顔ですね。何飲みますか?」
顔とは似合わない高い声で話しかけられました。
「じゃあ、ビールで。」
「だと思いました!」
そう言うとすぐ片手に隠されていたビールを渡されました。
「俺の勘は当たるんですよ。」
そうその男が笑った途端「ああこの店は当たりだな」と俺は思いました。
まあ大体、サラリーマンの最初の一杯はビールなんですが、
俺は始め一人で入って盛り上がっている店に気後れしているところがあったので
そう声をかけられてすっと気持ちが楽になったんです。
その無精ひげの男が店長だとわかったのはその後すぐのことでした。

俺よりも若いのに色んなおじさんからも可愛がられているのがよく分かりました。
カウンター越しの忙しい中、俺にも何度も話しかけてくれたりと、とにかく汗をかきながら働いている姿はなんだか自分と重なるところもありました。
それから俺は何度もその店に通いました。
俺が大体行くのは夜の11時が回ってからだったので、それ位は割とお客さんもまばらになる時間帯でゆっくりと店長と話せるのがまた嬉しかったんです。
年を聞けば、23歳と若い店長でした。
聞けば、もともとお父さんの店でお父さんが3年前に倒れてからは、とりあえず必死で店を守ってきたらしいです。
今はお母さんも調子が悪いから、とにかく病院代を稼ぐのが大変なんだと話をしていました。
俺よりも若い奴がこんなに頑張っているんだから「俺も踏ん張ろう」という気持ちになれたのも、その店長のおかげでした。
俺の営業成績が上がると必ず、俺のおごりだからとビールで乾杯をしてくれる熱い男でした。

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それから俺も仕事が忙しくて一ヶ月くらい出張があり、居酒屋に顔を出せない日が続いたんですが、その店が急に閉店したというのを同僚から聞いて驚きました。
行ってみると本当に閉店しており、俺はひたすらその店に仕事帰りに足を運んでは、店が再開していないか確認する日々が続きました。
電話番号もわからなかったので、俺ができることと言えば待つことだけでした。

その日も、いつものように閉まった店を眺めていると、
「ここはもう開店する見込みはないよ。」
と、以前になんとなく店で見たことのある男に話しかけられました。
「ここの店長のお母さんが亡くなってもう店を畳むって言ってたんだ。」
その人は昔からの知り合いらしく、閉店のいきさつを詳しく教えてくれました。

店長のお母さんがいきなり倒れて亡くなったこと。
お母さんを亡くしてから「休業」の紙が貼られ、いつの間にか書かれていた文字が「閉店」に変わっていたこと。
誰の電話にも出ず、ひたすら店長は家に引きこもっているらしいこと。

俺はできれば電話番号を教えてほしいと言ったんですが「さすがに個人情報だから教えられない」と言われました。
結局俺にできることは、ただ待つことでした。
それからも毎日店の前を通り、たまにはそこで缶ビールを一杯飲んで、時間を潰したりもしました。
いつか・・・いつか・・・絶対に会えると思っていたんです。

その願いが通じたのか、それから3週間位経ってからようやく店長が現れました。

「知り合いから聞いたんです。この店は閉店なのに俺を待っている男がいるって。
もう正直迷惑なんでやめてもらっていいですか?」
そう言った店長の目はもう死んだ魚のようでした。
俺はなんて言ったら良いかわからなくて
「嫌だ。」と一言しか言えませんでした。
「嫌だって言われても、もうこの店売るんです。」
俺は思わず、胸ぐらをつかみました。
だけどあまりにも店長の目が悲しそうで、見るのも辛かったです。
「俺は絶対一番とってやるからな!」
それしか言えませんでした。

店長と約束があったんです。
営業で一位になったらその時はビールじゃなく、店長のお父さんがめちゃくちゃ大事にしていた日本酒で乾杯するというものでした。
俺はいつもカウンター越しにその酒を見つめていました。
その酒を見ていると、明日も頑張るっていう気持ちに自然となれました。

俺は店長と話してから、願掛けのようにその店には顔を出しませんでした。
俺が一番になったら絶対に店は開いているはずだ・・・そう自分に言い聞かせました。

そして半年以上が過ぎ、ようやく営業成績が一位になったんです。
俺はドキドキしながら、すぐに店に向かいました。
恐る恐る久しぶりに店を見てみると、以前のようなサラリーマンの笑い声が聞こえてきました。
俺は泣きそうになるのを必死にこらえ、いつものカウンターに座りました。
そして店長は言ったんです。
「お客さん、何飲みますか?」
「・・・日本酒・・日本酒下さい。」
そう言うと隠していた片手にあの日本酒のボトルが握ってあって
「だと思いました!俺の勘は当たるんです!」
とグラスを渡されました。

俺は泣きそうになるのをぐっとこらえて店長に笑いかけ、乾杯しました。

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今時ジョータ
心の通い合った相手のことを考えていると、結構カンが冴え渡ったりするもんなんだよな。
店長にとって君は、お客さん以上の大切な存在だったんだろうね。